門脇誠二研究室 | 名古屋大学大学院 環境学研究科 地球惑星科学系 地球史学講座(博物館)| Seiji Kadowaki, Nagoya University Museum, Graduate School of Environmental Studies, Nagoya University

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研究内容 | Research 研究内容

人類進化の考古学―私たちホモ・サピエンスの行動や技術は特別なのか?
Archaeological studies on human evolution

人類の起源地はアフリカ、という認識は一般的かもしれませんが、約180万年以降にアフリカからユーラシアへ拡散したホモ・エレクトスが現在の世界各地の人類へ進化していったわけではありません。私たちホモ・サピエンスは、より最近の約20万年前頃にアフリカで出現した後、しばらくしてからユーラシアに拡散し、先住民(ネアンデルタールなど)と交替した、あるいは彼らを吸収した結果、現存する唯一のヒトになったと考えられています。

この人類進化史のシナリオは、私が専門とする先史考古学に大きな課題を投げかけます。1つは、ホモ・サピエンスの出現や世界拡散の過程が、遺跡などの考古記録によって把握できるか、ということ。2つ目は、旧人の絶滅を招いたホモ・サピエンスの世界拡散の要因は、彼らの行動や技術に関わるか、という問題です。

この2つの問題に取り組むために、ホモ・サピエンスの起源地付近である西アジアとアフリカにおける遺跡調査から採取された石器の形態や製作技術を調べ、石器文化が大きく変化したタイミングやプロセスを周辺地域と比較しています。

700万年前以降の人類の地理分布と系統模式図
人類進化の過程で出現した「画期的な石器1~6」を示しています。この内、5番の時期(ホモ・サピエンスの広域拡散)と6番の時期(農業の発達)を対象に研究を進めています。

研究テーマ 投射狩猟具の西アジア起源説の再検討

対象地:
西アジアと南ヨーロッパ
分析標本:
石器(特に小型尖頭器)

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ホモ・サピエンスがアフリカからヨーロッパへ拡散する経路上に位置する西アジア(中近東)では、投げ槍によって遠距離から獲物を射止める狩猟技術が発達したといわれてきました。この新たな狩猟技術を携えたホモ・サピエンス集団がヨーロッパの開拓に成功した一方で、ヨーロッパに先住していたネアンデルタール人は絶滅したというシナリオです。その証拠として、投射狩猟具の先端に装着されたと考えられている小型尖頭器(こがたせんとうき)が、ヨーロッパよりも先に西アジアで出現したといわれてきました。

この仮説を検討するために、西アジアで小型尖頭器が出現したタイミングの見直しを行っています。まず、ユーフラテス河中流域(現在のシリア)で遺跡調査を行い、小型尖頭器の石器を発見しました。そして、その年代測定を行った結果、ヨーロッパよりも新しい年代が得られました。西アジアでこれまで発見された他の小型尖頭器の年代も詳細に検討し直すと、従来説とは逆に、ヨーロッパの方が古い可能性があります。したがって、ホモ・サピエンスは元々持っていた革新的な狩猟技術に頼ってヨーロッパの開拓に成功したわけではなさそうです。今後も、遺跡調査や石器分析、年代測定を継続していく予定です。

ホモ・サピエンスのヨーロッパへの拡散には石器文化の拡散が伴ったという従来の仮説
4万2千年前頃にヨーロッパで発生したプロト・オーリナシアン文化は、レヴァントの前期アハマリアン文化に起源すると考えられていました。両文化には、小型の尖頭器が含まれており、それは従来の手持ち槍に代わる投射狩猟具の先端部(石鏃)と解釈されています。レヴァントで発生したこの技術革新がサピエンス集団の適応力を高め、ヨーロッパ入植を成功させた一方で、ネアンデルタール人の絶滅を招いたと考えられてきました。

北レヴァント内陸部(ワディ・ハラール16R遺跡)において発見された石器資料
一番右が、投射狩猟具の先端部と考えられている石器(エル・ワド型尖頭器)。この石器資料が約3万8~7千年前のものであるという放射性炭素年代を得ることに成功しました。この年代は、ヨーロッパにおける同様な尖頭器の年代(約4万2千年前~3万9千年前)よりも新しく、その起源とはいえません。

研究テーマ 投射狩猟具のアフリカにおける出現と展開

対象地:
東アフリカ
分析標本:
石器(特に背付き細石器)

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ホモ・サピエンスの起源地と推定される東アフリカでは、ホモ・サピエンスがアフリカからユーラシアへ分布域を拡大した約7~5万年前に、文化が大きく変化しました(中期石器時代から後期石器時代への変化)。この文化変化の一部は狩猟技術に関わったと考えられています。投げ槍あるいは弓矢によって遠方から獲物をしとめる投射狩猟具が発達したといわれています。その部品となる背付き細石器がこの時期に増加するからです。投射狩猟具は通常、「革新的技術」と解釈され、その技術を携えたホモ・サピエンス集団が、南アジアや南ヨーロッパに拡散したといわれています。

この背付き細石器が増加する時期に残された遺跡はとても希少なのですが、それに相当するムトングウェ遺跡など(ケニア沿岸部)を名古屋大学東アフリカ考古学調査隊が発見・調査しました。この石器標本を用いて、背付き石器を製作する技術が出現し、その後に変化した過程を調べています。この石器技術の変化が当時の社会・自然環境とどのように関わっていたのかについて研究を継続しています。

ケニア東部、ムトングウェ遺跡の発掘調査(名古屋大学博物館収蔵写真資料)
名古屋大学東アフリカ考古学調査隊(代表:大参義一氏)による1984年の調査風景

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ムトングウェ遺跡から発掘された背付き細石器(名古屋大学博物館収蔵写真資料)
投射狩猟具の部品として、柄の先端部や側縁に装着されたと考えられている。