農業起源の考古学―農耕牧畜はどのように始まり、世界に広まっていったか?
Archaeology on the origins of agriculture
農業は現代社会を支える食料生産方法ですが、それは人類の生存にとって元来不可欠というわけではありません。人類は過去数百万年のあいだ野生の動植物を食料とすることによって進化してきましたし、それは私たちホモ・サピエンスが誕生した約20万年前以降も変わりません。したがって、狩猟採集から農耕牧畜への移行を「必然的発達」と片づけることはできません。長年のあいだ人類を支えた狩猟採集生活を変えて、農耕生活を採用することには大きなリスクが伴ったはずです。それにも関わらず、なぜ人類社会は農耕牧畜へ移行していったのでしょうか?
この問題を掲げた考古学調査が、西アジア(中近東)で100年以上前から盛んに行われています。この地域は、ムギ・マメ類の栽培やヤギ・ヒツジ・ウシ・ブタの家畜飼育の起源地で、その始まりが約1万年前にさかのぼることが分かってきました。農耕牧畜の発達は、地球規模の気候変化(更新世から完新世への温暖化)と関わっていた一方で、地域的に多様であり、西アジア内においても農耕牧畜の内容や出現のタイミングは様々です。
門脇研究室では、コーカサス地方やシリア、ヨルダン地域における現地調査によって得られた様々な考古記録を研究し、世界最古の農業が出現しその後に周辺地域へ拡散していった年代とプロセスの解明を目指しています。
西アジアのコーカサス地方における現在のヒツジとヤギ放牧の様子
西アジアはヒツジ、ヤギ、ウシ、ブタの家畜飼育やムギ、マメ類の栽培の起源地です。ここで栽培家畜化された動植物が、日本を含む世界各地に広がっていきました。
研究テーマ 農耕牧畜の拡散プロセスの解明
- 対象地:
- 西アジア(コーカサス地方)
- 分析標本:
- 石器、建築物、動物骨(古代DNA)
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西アジアで発生した穀物栽培と家畜飼育は、いつ、どのように周辺地域へ拡散していったのでしょうか?農耕民が移住した、あるいは穀物・家畜自体が広がったのでしょうか?それとも、農業の知識や技術のみが伝わり、周辺地域の狩猟採集民に採用されたのでしょうか。西アジアの農耕先進地から3千年遅れて農業が始まったコーカサス地方で遺跡調査を行い、道具や建築物の文化系統や家畜動物のDNA系統を分析して、この地域で農業が導入されたプロセス(新石器化)の解明をしています。
研究テーマ 狩猟の衰退と農耕の発達を道具でたどる―穀物収穫具と製粉具
- 対象地:
- 西アジア(コーカサス地方、ヨルダン、シリア)
- 分析標本:
- 石器(特に、穀物収穫具と製粉具)
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狩猟採集から農耕生活への変化は、当時の人々が使っていた道具に反映されています。つまり、狩猟具から農具への変化です。動物を狩猟するための武器(尖頭器や石鏃)が減る一方で、栽培した穀物を収穫する鎌に装着された石器(鎌刃)が発達しました。また、収穫された穀物(主にムギ)を製粉する(つまり麦粉を作る)道具が増加しました。
こうした道具の頻度や形態、製作技術を調べることによって、農耕への依存度や地域伝統、生産体制(家庭生産あるいは専業生産)について知ることができます。
ヨルダンのジクラブ渓谷に位置する古代農村遺跡(アル・バサティン)から発掘された鎌刃(約7500年前)とその装着復元
この時代と地域の鎌刃は、鋸のような形に加工されるのが特徴です。現在の稲刈り鎌も鋸のような刃をしていますね。
鎌刃の石器が製作された様子を再現してみましたのでご覧ください。
» 鎌刃づくりの再現アニメーション―7,500年前のスナップショット
研究テーマ 家畜ヤギの西アジア起源説の検討―古代DNAの系統解析
- 対象地:
- 西アジア(コーカサス地方)
- 分析標本:
- ヤギの骨(DNA)
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現在、世界各地で様々な品種のヤギが飼育されていますが、その由来は西アジアのパサンという野生ヤギにほぼ限られるといわれています。その根拠は考古記録とDNA系統です。考古記録としては、西アジア(特にトルコ東部~イラン北西部)において世界最古の家畜ヤギの骨が見つかっています。また、ユーラシア各地の野生ヤギのミトコンドリアDNA分析の結果、西アジアに分布するパサンが、家畜ヤギの系統に最も近いことが明らかになっています。家畜ヤギがいつ、どこで家畜化され、それがいつ、どのように広まっていったのかという問題を明らかにするため、西アジア北端のコーカサス地方の古代農村から採取したヤギの骨からミトコンドリアDNAを抽出し、その系統解析を行っています。
古代ヤギの骨からDNAを抽出するために骨粉を採取している様子
環境学研究科地球史学講座の大西敬子さんが、このテーマで修士研究を行いました。
研究テーマ 穀物貯蔵の直接的証拠の検出―植物遺存体と土壌微細形態
- 対象地:
- 西アジア(コーカサス地方)
- 分析標本:
- 土製の貯蔵容器とその内容物(炭化植物、プラントオパール、堆積物)
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食料の貯蔵は、狩猟採集から農耕生活へ移行する時のリスクを減らした重要な活動です。食料貯蔵の管理を行ったグループ単位が分かれば、生産・消費の集団単位の規模や社会関係を垣間見ることができます。現代に例えると、食料を保存する冷蔵庫は各家庭にある一方で、職場で共用の冷蔵庫もあるでしょう。また、商業的な分配を目的とした食料貯蔵もたくさんあります。このように異なる種類・規模の貯蔵施設がどのように分布しているかを、古代農村において調べています。
ただし、古代の食料貯蔵を同定することは容易ではありません。貯蔵用と思われる施設の中に穀物が残っていることはほとんどないからです。貯蔵された食料のほとんどは消費されてしまったはずですし、たまたま残ったとしても、数千年のあいだに分解してしまいます。この問題に対して、貯蔵容器の中に残されているわずかな痕跡から内容物を復元するために、炭化植物やプラント・オパールの回収を行うと共に、それらが堆積したプロセスを調べるために土壌微細形態の分析を専門家と協同で行っています。
円形の土製施設の底に残されていたムギの籾殻(右の写真の白色繊維物)(約7500年前)
籾殻の上には、籾すりや製粉に用いられた石器が2つ置かれていた。
研究テーマ 古代の農家と農村の発達と再編成をたどる―建築物と活動場
- 対象地:
- 西アジア(コーカサス地方、ヨルダン、シリア)
- 分析標本:
- 建築遺構(住居壁、炉、貯蔵庫など)と遺物の空間分布
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西アジア(特にレヴァント地方)では、農耕牧畜の発達に伴って農村規模が拡大しました。おそらく村落内の人口が増加したと思われます。また、家屋のサイズも大きくなり、その構造も複雑になりました。部屋の数が増えたり、二階建ての家屋が構築されたり、壁や床に漆喰(しっくい)が塗られたりしました。しかしながら、こうした農村や農家の拡大・複雑化が、そのまま発達を遂げ、後のメソポタミア文明を特徴づける都市社会の誕生に至ったわけではありません。西アジアの古代農村は崩壊と再編を経験しました。
この記録は、農業が発達したからといって、社会が常に安定に保たれたわけではないことを意味します。古代農村が崩壊と再編を経験した要因には、気候変動や周辺環境の枯渇、遊牧活動の発達、世帯間関係の変化などが指摘されています。古代農村を構成した世帯の規模や構成、そして世帯間の社会関係を明らかにするために、家屋の構造やその配置を調べると共に遺物の空間分布を調べ、建築空間で行われた活動の復元を行っています。
北ヨルダンの古代農村、タバカト・アル・ブーマ遺跡における建築空間と活動場(約7,500年前)
石壁(斜線部分)の建築によって、アクセスし易さの度合いが異なる空間が生じます。上の図では、色が濃い空間はアクセスが難しく(例えば家の中)、色が明るい空間はアクセスしやすい(例えば屋外空間)ことを示します。このアクセスの違いに応じて行われた活動内容を調べることによって、異なる世帯間の社会関係を知ることができます。例えば、貯蔵施設(円囲み部分)は、アクセスが難しい空間に設けられた傾向があります。
詳しくは門脇2009, 2011を参照してください。